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序 帝王の実像と虚像
南北朝の動乱
王朝歴史物語から『太平記』へ
「賢才」か「物狂」か
「怪僧」と「悪党」
『徒然草』が語る後醍醐
二つの天皇のあり方
「天皇」を問うた天皇
第一章 後醍醐天皇の誕生
尊治親王の誕生
皇統の分裂状態
兄・後二条の急逝
立太子とその条件
政治への意欲
西園寺家の娘と
後醍醐天皇の即位
後宇多法皇と密教
後宇多院政の停止
第二章 天皇親政の始まり
元亨改元
讖緯説批判と宋学
政道の学問
諸道の再興
「延喜聖代」
政道への取り組み
「中興」への期待
宋学の流行
天皇親政の背景
花園上皇の学問
『孟子』の受容
俊才・日野資朝
『徒然草』が伝える資朝
日野俊基と吉田冬方
俊基の抜擢人事
士大夫という自恃
第三章 討幕計画
討幕計画の始まり
無礼講と芸能的寄合
文観,護持僧に
幕府御家人の内通
正中の変
幕府側の対応
正中の変の虚実
邦良の死と量仁の立太子
第四章 文観弘真とは何者か
持明院統側の譲位要求
皇子たちと寺院勢力
中宮御産の祈禱
中宮禧子をめぐる「物語」
「異形の王権」か?
真言密教の受法
文観弘真の登場
後醍醐天皇の絵像
聖徳太子への傾倒
つくられた「妖僧」イメージ
『太平記』の文観
文観の宿敵,三宝院賢俊
立川流という俗説
律僧という立ち位置
媒介者(メディエーター)として
「太平記作者」の小嶋法師
第五章 楠正成と「草莽の臣」
元弘の変の勃発
常盤木の夢
楠正成の素性
「楠」か「楠木」か
正成の挙兵
散所民の長者か
語り伝えた人々の思い
宮廷と「民」の回路
宋学と「破仏講」
在野・民間の士と宋学
「志士」という言葉の始まり
『太平記』の噓談,狂漢をも生ず
「あやしき民」名和長年
赤松挙兵と隠岐脱出へ
鎌倉幕府滅亡
第六章 建武の新政とその難題(アポリア)
二条河原の落書
綸旨の乱発
雑訴決断所の設置
天皇の「勅裁」と側近の「内奏」
異例の人事と「下剋上」
北畠顕家の諫奏状
父親房の『職原鈔』と任官叙位
既得権と世襲制の打破
家柄と門閥の否定
「物狂の沙汰」の政(まつりごと)
新政の難題(アポリア)
「足利征夷将軍」
足利尊氏の離反
足利対新田という構図
南朝対北朝という構図
「王政」への幻想
第七章 バサラと無礼講の時代
「自由狼藉」の世界
茶寄合の空間と「新政」
無礼講からバサラへ
バサラと過差の時代
『建武式目』の「礼節」
『建武式目』と『太平記』
「正名」の思想
アンビヴァレントな道誉評価
佐々木道誉の役割
「日本的」文化の始発
第八章 建武の「中興」と王政復古
後醍醐天皇の死
後醍醐の鎮魂と「原太平記」
室町幕府の草創史として
近世の後醍醐天皇評価
南朝正統論はどこから来たか
読みかえられる南朝正統史観
論争の勃発
わが国固有の名分秩序
空白としての足利時代史
正統論から国体論へ
「国体」と幕末の「国民国家」
王政復古と建武の「中興」
「臣民」という思想
法治国家のアポリア
おわりにーー近代の天皇問題
主要参考文献
あとがき
後醍醐天皇関連略年表