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タイトル |
フェイクニュースを哲学する(フェイクニュースヲテツガクスル) |
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他人の言葉、うわさ、専門家の発言、マスメディアの報じるニュース、ネット発のニュース、あるいは陰謀論……、私たちは瞬時に莫大な情報を手にする一方、時に何を信じたらいいのか、わからなくなってしまう。本書では、「知る」ことを哲学的に考察し、「真理を多く、誤りを少なく」知るための方法、そしてその意味を問う。
まえがき
序 章 フェイクニュースとは何か
新たな事態が生じている
真実か否か
正直か否か
定義ではない明確化
なぜ問題なのか
真理の価値って何だろう
真理を気にかけることの価値
第1章 他人の言っていることを信じてもよいのか
リアルとネット
確かなものって何だろう
可謬主義と不可謬主義
証言の認識論
証言だけでは不十分(還元主義)
証言だけで十分(非還元主義)
認識的な自律と依存
特定の証言を信頼する条件
聞き手は何をすべきか
ネット空間での人格の同一性
モニタリングができないネット空間
政治的な動機
経済的な動機
面白がらせたいという動機
評価可能な能力条件とは
ネットの証言を取り巻く不透明さ
認識目標の再点検
第2章 うわさは信じてよいものか
信じてはいけないものの代表?
うわさとは何か
オルポートの実験
認知的な歪み
うわさは信じてもよい(コーディの反論)
判断を保留する意味
ネット上のうわさは信じてよいのか
ワンクリックで伝わる功と罪
再投稿における保証
情報源の信頼性に対するリスク
理解と納得の共有
感情の正当化と共有
うわさ話を楽しむ
自由の制限
うわさを楽しむ条件
第3章 どの専門家を信じればよいのか
専門家不信
専門知についての三つの困難
論証の仕方
過去の証言の記録
利害関心とバイアス
同意する専門家の多さ
信念形成ルートの独立性
メタ専門家による同意
他の専門家による査定
査読制度
認識の基礎としての制度
困難をどう克服するか
知的な謙虚さ
専門家への信頼は取り戻せるか
第4章 マスメディアはネットよりも信じられるのか
インターネットメディアの登場
情報の門番
マスメディアの理想と現実
査読制度との類比は成り立つか
マスメディアを信頼する根拠
信頼性への反論
メディアの評価の細分化
陪審制度との類比は成り立つか
証言選別の妥当性
多様性の認識的価値
インターネットのフィルタリング問題
フィルターバブルの認識論
エコーチェンバーの認識論
認識バブルに陥らないために
第5章 陰謀論を信じてはいけないのか
ポパー、そしてピグデンの考える「陰謀論」
不合理ではない 社会における開放性
歴史学の陰謀論
心理学の陰謀論
カッサムによる批判
知識を失わせる
政治的プロパガンダ
反証不可能性
三つの対処法
終 章 真偽への関心は失われていくのか
あとがき
参考文献