コロナ禍がはじまり、終息に向かった。これは目眩? 日常の隣にある別世界。分別盛りの人々の抱えた困惑と不安をユーモアと活力あふれる文章で描く四つの日常奇譚集。妻は売れっ子イラストレーター、夫は音楽家。30代の夫婦が不動産屋の仲介で移り住んだ理想の家。しかし夫が出張中のある夜、天井から異様な物音が……。気のせい? 事故物件? それとも……。そしてある日、夫婦は隣家の秘密を知ることになる。(「屋根裏の散歩者」)酔い潰れ、夜更けの電車内でヴァイオリンを抱いて眠る老人。慌てて下りていった彼の忘れ物は、なんと遺骨。「才女好き」と噂された男の、四十年に及ぶ家庭生活に、秘められたものはいったい何だったのか。(「妻をめとらば才たけて」)亡き父の後を継いだレストラン経営がコロナ禍で破綻に瀕している。家庭がきしみ始め、しっかり者の母が倒れ、妻は子供を連れて出て行く。負の連鎖の中でどん底の男が、はまったのは、因縁付きの謎の植物。完璧なフォルム、葉の緑のグラデーション。マニアの世界は地獄より深かった。(「多肉」)認知症の義母が亡くなった。ようやく見つけた葬儀用の遺影。しかしその肩先には人の手が写っている。そして切り取られた半分には見知らぬ男が。背景からすると、近くの動物園で撮影されたようだ。慎ましく物静かで、実の娘息子にも本音を語ることのなかった人の心の内にあったものは?(「遺影」)現実と非現実の裂け目から見えた、普通の人々の暮らしと日常の裏側。『鏡の背面』(集英社文庫、吉川英治文学賞受賞作)や『冬の光』(文春文庫)の流れにつながる、人の心の不思議と腑に落ちる人生のリアリティにあふれる力作。