|
タイトル |
権記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典(ゴンキ ビギナーズ・クラシックス ニホンノコテン) |
|
天皇の側近である蔵人頭に抜擢され、一条天皇や東三条院、藤原道長の篤い信任を得て昇進を重ね、権大納言にまで上りつめた藤原行成。彼が書き残した摂関期の日記が『権記』である。宮廷の政治や儀式がこと細かく記録されており、当時の政務運営や権力中枢の深奥、秘事までが把握できる貴重な史料といえる。貴族たちの知られざる日常生活を記した興味深い出来事を厳選し、原文・現代語訳と書き下し文、コラムと解説を収載する。
正暦二年(九九一) 地下人からの眼差し
正暦三年(九九二) 行成、召問される
正暦四年(九九三) 中関白家の栄光
長徳元年(九九五) 蔵人頭に抜擢
長徳三年(九九七) 高麗との折衝
長徳四年(九九八) 藤原道長と一条天皇との連絡
長保元年(九九九) 藤原彰子入内・敦康親王誕生
長保二年(一〇〇〇) 藤原定子崩御
長保三年(一〇〇一) 浄土への思い
長保四年(一〇〇二) 妻と子の死
長保五年(一〇〇三) 能書の自覚
寛弘元年(一〇〇四) 炎旱と改元
寛弘二年(一〇〇五) 内裏焼亡と伊勢勅旨
寛弘三年(一〇〇六) 興福寺大衆の強訴
寛弘四年(一〇〇七) 藤原道長金峯山詣
寛弘五年(一〇〇八) 敦成親王誕生・行成男児死去
寛弘六年(一〇〇九) 敦良親王誕生
寛弘七年(一〇一〇) 一条天皇の名代で石山詣
寛弘八年(一〇一一) 一条天皇に敦成立太子を進言
長和元年(一〇一二) 不吉な長和改元
寛仁元年(一〇一七) 東宮敦明親王遜位
治安元年(一〇二一) 女の死去
治安二年(一〇二二) 藤原道長の法成寺造営
治安三年(一〇二三) 藤原彰子所望の屏風和歌
万寿元年(一〇二四) 法成寺供養の願文
万寿三年(一〇二六) 藤原彰子、上東門院に