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タイトル |
小右記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典(ショウユウキ ビギナーズ・クラシックス ニホンノコテン) |
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平安時代の公家で、故実に通じ「賢人右府」と称賛された藤原実資。彼の日記『小右記』は、藤原道長が詠んだとされる「此の世をば我世とぞ思ふ望月の欠けたる事も無しと思へば」が載ることでも著名である。63年にわたり書き続けられた現存5463条の膨大な記事のなかから、男性貴族によって宮廷で執り行なわれた政務や儀式など、初心者にも面白い内容を精選。原文・訓読文・現代語訳を収録した、研究の第一人者による決定版。
貞元二年(九七七)東宮読書始
天元五年(九八二)元旦の行事
永観二年(九八四)円融天皇譲位・懐仁親王立太子
寛和元年(九八五)円融上皇の動き
寛和二年(九八六)一条天皇読書始
永延二年(九八八)官人の勤務の実態
永祚元年(九八九)参議任命
正暦元年(九九〇)兼家薨去/道隆関白
正暦二年(九九一)藤原詮子出家、東三条院に
正暦三年(九九二)除目の申文
正暦四年(九九三)女児死亡
長徳元年(九九五)道長政権の成立
長徳二年(九九六)「長徳の変」
長徳三年(九九七)奄美島人来寇
長徳四年(九九八)御斎会内論義
長保元年(九九九)藤原彰子入内
長保二年(一〇〇〇)藤原定子崩御
長保三年(一〇〇一)東三条院崩御
長保四年(一〇〇二)除目の顕官挙
長保五年(一〇〇三)宇佐使に香椎廟宣命を託す
寛弘元年(一〇〇四)道長病悩
寛弘二年(一〇〇五)内裏焼亡、神鏡焼損
寛弘三年(一〇〇六)興福寺僧の愁訴
寛弘四年(一〇〇七)浄妙寺塔供養
寛弘五年(一〇〇八)敦成親王誕生
寛弘六年(一〇〇九)敦良親王誕生
寛弘七年(一〇一〇)新造一条院内裏遷御
寛弘八年(一〇一一)一条天皇崩御、三条天皇即位 ほか
コラム1小野宮家の盛衰
コラム2『小右記』はどうやって記録されたのか
コラム3『小右記』はどのように利用されようとしたのか