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タイトル |
やがて哀しき外国語(ヤガテカナシキガイコクゴ) |
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F・スコット・フィッツジェラルドの母校プリンストン大学に招かれ、アメリカでの暮らしが始まった。独自の大学村スノビズム、スティーブン・キング的アメリカ郊外事情、本場でジャズについて思うこと、フェミニズムをめぐる考察、海外で悩み苦しむ床屋問題ーー。『国境の南、太陽の西』と『ねじまき鳥クロニクル』を執筆した二年あまりをつづった、十六通のプリンストン便り。
初めてプリンストンを訪れたのは1984年の夏だった。F・スコット・フィッツジェラルドの母校を見ておきたかったからだが、その7年後、今度は大学に滞在することになった。2編の長編小説を書きあげることになったアメリカでの生活を、2年にわたり日本の読者に送り続けた16通のプリンストン便り。
文庫本「やがて哀しき外国語」のためのまえがき
プリンストン──はじめに
梅干し弁当持ち込み禁止
大学村スノビズムの興亡
アメリカ版・団塊の世代
アメリカで走ること、日本で走ること
スティーヴン・キングと郊外の悪夢
誰がジャズを殺したか
バークレーからの帰り道
黄金分割とトヨタ・カローラ
元気な女の人たちについての考察
やがて哀しき外国語
運動靴をはいて床屋に行こう
「カーヴァー・カントリー」を描くロバート・アルトマンの迷宮映画
ロールキャベツを遠く離れて
ブルックス・ブラザーズからパワーブックまで
ヒエラルキーの風景
さらばプリンストン
「やがて哀しき外国語」のためのあとがき