「悲しみ(grief)と虚無(nothing)しかないのだとしたら、ぼくは悲しみのほうを取ろう。」
1937年ーー人妻シャーロットと恋に落ち、二人の世界を求めて彷徨する元医学生ウイルボーン。(「野生の棕櫚」)
1927年ーーミシシピイ河の洪水対策のさなか、漂流したボートで妊婦を救助した囚人。(「オールド・マン」)
二組の男女/二つのドラマが強烈なコントラストで照射する、現代の愛と死。
アメリカ南部を舞台に、実験的かつ斬新な小説群を、洪水的想像力で生涯書き継いだ巨人、ウィリアム・フォークナー。
本作は、「一つの作品の中で異なる二つのストーリーを交互に展開する」という小説構成の先駆となったことで知られる。原著刊行(1939)の直後、ボルヘスによってスペイン語訳され(1941)、その断片的かつ非直線的な時間進行の物語構成により混沌とした現実を表現する手法は、コルタサル、ルルフォ、ガルシア=マルケス、バルガス=リョサなど、その後のラテンアメリカ文学に巨大な霊感を与えた。
他方、現代日本の小説にも、大江健三郎(『「雨の木」を聴く女たち』)や村上春樹(『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』)、叙述トリックを用いたサスペンス小説(連城三紀彦は本作を生涯の10冊に挙げている)など、本作の影響は数多見受けられる。
また、ゴダール(『勝手にしやがれ』)、ジャームッシュ(『ミステリー・トレイン』)における言及で本作を知る映画ファンも多いだろう。
その意味では、文学のみならず20世紀カルチャーにおいて最大級の方法的インパクトを与えた、世界文学史上の重要作にして必読の傑作だといえる。
これまで日本の新刊書籍市場ではなかなか入手できなかった本作を、『八月の光』『サンクチュアリ』『兵士の報酬』などの名訳によって定評のある、加島祥造訳にて復刊する。