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タイトル |
新・人と歴史 拡大版 42 日蓮と蒙古襲来(シンヒトトレキシカクダイバンヨンジュウニニチレントモウコシュウライ) |
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蒙古襲来は、異民族による大々的な侵攻として日本史上他に例をみない大事件であった。
「信仰は時代に生きる指針だ」とした日蓮にとって、蒙古問題はその教説の展開に本質をかけた課題であった。
日蓮は、蒙古問題を軸にした自己の教説を社会化したのである。
宗教的な面から、敵国降伏を祈ることには、たしかに疑問も残るであろう。
しかし、『法華経』至上主義の立場から「国心」を統一し、「国難」に対処しようとした努力は、ある意味で今日の日本を形づくっているともいえる。
本書は、蒙古襲来を通して、日蓮の宗教精神を克明に物語っている。
目次(内容と構成)
新刊
日蓮聖人 生誕800年
「信仰は時代に生きる指針だ」
目次
まえがき
I 『立正安国論』とその前後
日蓮は時代に生きる
◇生い立ち ◇修学の旅 ◇清澄から鎌倉へ ◇国土の乱れ
論理と事実は重い
◇『守護国家論』の公表 ◇教えの浅深によれ ◇守護の善神は日本を捨てた
内乱と外寇の予言
◇『立正安国論』の上申 ◇他国侵逼難・自界叛逆難 ◇法と国家 ◇弘長元年・文永八年の法難
2 蒙古国書の到来
東アジア世界のなかの日本
◇風波の荒さ ◇蒙古の国書 ◇国家の大事
身命を捨てて国恩に報じよう
◇予言の書 ◇国の為め,法の為め,人の為め ◇『立正安国論』の再活用 ◇『法華経』の力
日蓮を誤るもの
◇人の心もやわらいで ◇『十一通書』 ◇日蓮は元寇の予言者といえるか ◇小倉説の基本的な欠陥
おもいあう祈り
◇信奉者の増大 ◇すぐれた馬に鞭をあてる ◇三事相応して一事を成す ◇大師講
3 文永八年の法難
日本国は釈尊の所領
◇釈尊御領 ◇この身はどうなってもよい ◇行敏の訴状 ◇忍性・良忠・道教
法華一揆はなぜおこったか
◇『行敏訴状御会通』 ◇阿弥陀を火に入れ,水に流す ◇『法華経』守護のためには武器をとれ
竜口法難はおこるべくしておこった
◇得宗誹謗 ◇鎌倉の市政と防衛体制 ◇おもてには遠流 ◇わけもなく死罪に
竜口法難の構造
◇弟子への弾圧 ◇信徒への弾圧 ◇信奉者二六〇余人
防衛体制の強化
◇東国御家人の九州下向 ◇大友・島津氏の九州下向
佐渡から身延へ
◇佐渡配流 ◇典籍の収集と伝道 ◇三たび諫めてきかれず
4 異国合戦ー文永の役ー
壱岐・対馬のごとく
◇熱原法難 ◇御用あらば ◇涙もとどまらず ◇国はまさに滅びようとしている
文永の役に“神風”は吹いたか
◇“神風”論争 ◇“神風”史料 ◇蒙古の船は皆馳せて帰っていた ◇通説再確認 ◇蒙古王を召し取れ ◇日蓮における“神風”
よしなき海を守り
◇国の亡びるが第一の大事 ◇わが一門に兵士はまだなし ◇宋の滅亡と日蓮
5 終焉の章ー弘安の役と日蓮の死ー
日蓮と武士信徒
◇富木常忍のこと ◇千葉氏の被官として ◇千葉氏と九州 ◇防衛体制と富木常忍 ◇隣国の聖人
心静かな仏の世界へ
◇異賊ふたたび来たる ◇曽谷氏のこと ◇不安を超越して ◇身つかれ心いたむ ◇秋風にわずかの水 ◇高山樗牛の日蓮理解
年 譜
参考文献