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タイトル |
ポスト・アートセオリーズ(ポストアートセオリーズ) |
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拡散する現代アートに対峙する理論とは何か。
芸術の終焉、ポストモダニズム、ポストセオリーの時代を越えて、来るべき理論を探る野心作。
1980年代、アーサー・ダントーは「芸術の終焉」を唱えた。しかし、その後、現代アートはグローバル資本主義の拡大に同伴するかのように爆発的な隆盛を見せる。一方、芸術に向き合ってきた人文学はポストモダニズムの席巻の後、社会主義の崩壊、メディア技術の発展やアート自体の拡散も相俟って、理論的なものが後退してゆく。果たしていまや、この事態に斬り込む言葉はあるのか。本書では、「理論」を牽引するジャーナル『オクトーバー』『クリティカル・インクワイアリー』の変遷を軸に、現代思想とアートの複雑な絡み合いを読み解く。米国を越えて加速する世界規模の知のサーキュレーションを背景に、かつての理論的地平の乗り越えを試みる。
〇目次
はじめに
1 理論
1 「芸術の終焉」以降のアートの語り方
「ポストアート」という語り方/「芸術とは何か」という問いの深化/「芸術とはなにか」という問いとはどのような問いか/デュシャンとウォーホール/メタ実在論としての「芸術の終焉」論
2 ポストモダニズムとはどのようなものであったのか
ポストモダニズム美学、その前夜/ポストモダニズム美学、その祭りの後から/記号とは何でなかったのか/記号の前と後、あるいは形而上学の一歩手前/モノを旋回する『オクトーバー』/「対象性」の奈落1/「対象性」の奈落2/分析哲学の「オクトーバー」/作品なる対象の彷徨い
3 ポストセオリーという視座
理論の危機の諸相/二一世紀における知の基盤としてのメディア論/モノの迷路を問いただすミュージアム/ひとが作品を欲望するのか、作品がひとを欲望するのか/哲学を穿つメディア論/モノ、メディウム、アートの三角形/折り重なるメディウム/「対象」なきあとの芸術実践/参加のダイナミズム/ダイナミズムのなかの参加/アートなる力動態、その形態学/人間、すなわち、イメージと画像が往還するメディウム/三つの展覧会が指し示すもの
2 批評
1 分断された肉体ーー寺山修司
2 ポストモダニズムを射抜くーーミックスド・メディア・シアター
3 紅のバラーーピナ・バウシュ「窓拭き人」
4 イメージのマテリアリティーーアラン・セクーラ
5 イメージの制御、その行方ーー「渚・瞼・カーテン チェルフィッチュの〈映像演劇〉」
6 呼び覚まされる声ーー三輪眞弘+前田真二郎「モノローグ・オペラ『新しい時代』」
7 黒いコードの群れ──クリスチャン・ボルタンスキー「Lifetime」
3 討議
冷戦終結以降におけるアートと思想の拡散と停滞
ーーミハイル・ヤンポリスキーを中心に[+乗松亨平、番場俊]
ヤンポリスキーと「理論」の行方/アメリカのヤンポリスキーーーアヴァンギャルド、『オクトーバー』、ボスト冷戦/メディウムと存在論の狭間で
あとがき