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タイトル |
「これくらいできないと困るのはきみだよ」?(コレクライデキナイトコマルノハキミダヨ) |
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■本書の概要
社会や労働にある一元的な能力主義や「傷つき」について、組織開発者として日々論じている勅使川原真衣さんが、教育・福祉の専門家・実践家と対談。学校をめぐる際限なき「望ましさ」の背景にどんな傷つきや焦りがあるのかを探り、一元的な能力主義をほぐしていくための糸口を考えました。
■本書からわかること
1.環境や関係性を無視した能力観の果てに
日々さまざまな能力の必要性が訴えられていますが、それらは非常に移ろいやすいものです。労働の世界に目を向ければ、「新卒で必要な能力」が時代とともに移ろいますが、能力とは個人に宿るものではなく、環境との関係に左右されます。
そして、教育の現場でも、「コミュニケーション能力」「非認知能力」「指導力」という表現に、こうした一元的な能力主義の片鱗を見つけることは難しくありません。
例えば、「これくらいできないと困るのはきみだよ」。言ったり、言われたりしたことのある人は多いでしょう。学校で相手や自分に「これくらいできないと困るのはきみだ」と言いたくなるときには、どのような社会で生きることが想定されているでしょうか。
2.「これくらい」が規定する社会は存在するのか
本書の編著者である勅使川原さんは、「能力とは個人に宿るものではなく、他者や環境との関係の中で発揮されるのではないか」と提案します。
本書では、「これくらいできないと」に表現される焦りが、昨今の学校をめぐる状況への合理化として表れているのではないかと仮定し、どうすれば一元的な能力主義という“自縄自縛”をほぐしていけるのかを議論します。
3.「学校だけが変わったって意味はない」?
「学校がいくら個性を大切にしても、その先で生きていく社会が変わらなければ、結局困るのは子どもたちではないか?」--こうした不安も生じるかもしれません。しかしながら、不登校児童生徒が30万人を超える今、このまま進んでいったとして、学校は子どもたちにとって、そして先生にとって、どんな場所になりうるでしょうか。私たちは、なに「から」始めていけそうでしょうか。4つの語り合いを通して、学校にある大人や子どもの傷つき・葛藤をつぶさに見つめながら、糸口をいっしょに考えていくための1冊です。
対談1 声を聞かれるということ(野口晃菜)
対談2 学校でケアし、ケアされるということ(竹端 寛)
対談3 学校がそうせざるを得ない合理性を追って(武田 緑)
対談4 言っても癒えない?--学校という職場で(川上康則)
■こんなときにおすすめ
・自分や同僚、子どもに対して「これくらいできないと……」と言いたくなるとき
・子どもの個性やとがりを大切にしたいけど、それが子どものためになるのか不安なとき
・学校や教室の「○○力」や能力主義について考え直したくなったとき
・先生同士や子どもに向けられる一元的な能力主義について考え直したくなったとき