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タイトル |
90歳を生きること(キュウレイサイヲイキルコト) |
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「思えば遠くへ来たもんだ」という歌があるが、
まったく「思えば長生きしたもんだ」である。
太宰治は「生れて、すみません」とか「恥の多い生涯を送って来ました」
と言っていたが、私にもその感がある。
フーテンの寅さんのせりふに「それを言っちゃあおしまいよ」というのがあるが、
私はいまもその「おしまい」ばかりやっている。
夜は自己嫌悪と自責の念で七転八倒、身もだえしている。
講演の時に「ペンネームの童門は、ろくなことをしないので、
ドーモスイマセンの意味です」と言って笑いを取っているが、
そう言いながら「本心だ」と思うことがしばしばある。
そういう繰り返しをしながらも私がしぶとく生きてきたのは、
「いてもいいだろこんな奴」と、反省のたびにつぶやいてきたからだ。
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本書は、90歳になっても「生涯現役、一生勉強」をモットーに
作品を書き続ける歴史小説家が自身の体験をもとに描いた、
年をとるほどに人生が楽しくなる痛快エッセイです。
ワイシャツの袖のボタンをはめるのに20分かかる。
前立腺肥大、白内障、脚力の衰え…、カラダのほうも不調が続く。
後期高齢者ってつらいなあとつぶやきながらも、
歴史だけでなく、市井の人々からも学び続ける「生涯現役、一生勉強」の姿勢に、
後期高齢者でなくても、毎日をたくましく生きるヒントがもらえます。
「生涯現役、一生勉強」──、学ぶことがあるから人生は面白い。
はじめに
第1章 90歳で恕を知る
生涯行うべき一文字
井戸水のように生きる
質問に答えるコツ
黒田官兵衛の腹立てずの会
校閲さんにサムライを見る
厄介な優越感
街中の殿様行列
ゴキブリ一つ殺せない
サンゴの長い旅
人には言えないこと
スティング
中華料理屋のトイレ
陽の当たるほうへ
第2章 90歳で仁を知る
下着とボタンと私
たった二人の池田屋騒動
目の中を鳥が飛び回る
各駅停車のススメ
新宿の母の予言
果てしない旅路
ワクワク感との決着
真実はそんなもの
神か仏か運命か
考えるな、感じろ!
血液型のせい?
第3章 90歳で道を知る
寝たい時に寝る
深夜のコメ研ぎ
道は礼なり
理想の老夫婦
やりたくはないけれど
吊るされ鳥との対話
人生、起承転々
まだまだ生きる
明日は明日の風が吹く
童門桜
第4章 90歳で誠を知る
ほおずきと焼き鳥の皮
キンメの煮付け
たるみのある生活
長老だけが持ち続けたもの
風度百様
変えず、変わらず
隣に人がいなくても
運命に逆らって
上杉鷹山のモチベーション
空想と現実の間
情熱と好奇心のダザイスト
第5章 90歳で縁を知る
落葉の親孝行
二人で踊った阿波踊り
死者は森の木立に眠る
第三の道を選ぶ人
フォロー・ミー
胸像の出番はあるか?
ポケットの中の金庫番
二匹のメダカ