啓蒙とはなにか 忘却された〈光〉の哲学
カントと革命が覆い隠した運動
すでにこの問いへの回答は与えられている。カントによる有名なあの定義だ(『啓蒙とは何か』1784年)。カントによれば、「啓蒙とは、人間が自らの未成年状態から抜け出ること」であり、そのためには「理性の公共的な使用」が求められるという。
その簡略さゆえに「啓蒙」の正統的理解として後世を席捲したこの定義には、しかし、大きな偏りがあったと本書は指摘する。
「光」という観念を共有しているとはいえ、アウフクレールングAufklärungについて語ることは、リュミエールlumiéresについて語ることとは全く異なるのだ。
もう一つ、啓蒙についての理解を歪めたのはフランス革命である。トクヴィルでさえも革命の知的源泉を啓蒙の「高度の抽象性」に求めた。しかし、啓蒙はむしろ革命によって抹殺されたというのが本書の立場である。
近年、イスラム教の台頭などを背景にポスト世俗化に光が当てられる。啓蒙はまさにその中核的な概念として参照されている。
こうした思想状況に本書は警鐘をならす。啓蒙はあくまで18世紀の思想運動として捉えるべきなのだ。「経済学の生誕」を大きな果実とする啓蒙への全く新しいアプローチ!