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タイトル |
学校は私たちの「良い生活(グッドライフ)」だった(ガッコウハワタシタチノヨイセイカツグッドライフダッタ) |
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「教える」「学ぶ」という新たな「知」を探求し続けてきた著者が
教育学における「進歩主義教育」そのものを問い直す
▼教育哲学者ジェーン・R・マーティンが、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにあるリトル・レッド・スクール・ハウスに学び始めたのは一〇歳の時。そこは、アメリカにかつて存在した最高の進歩主義学校だった。そしていま、アメリカにおける主流派の立場は、進歩主義教育をもはや生ける遺産としてではなく忘れられた方がよい死せる遺物としてみなしている。いかにしてアメリカの進歩主義教育は、その信用を失ったのか?
「アメリカ教育史」が語り忘れていたことを物語のように語って、教育学における「進歩主義教育」そのものを問い直す。
謝 辞
日本語版への序
序
第一章 よみがえるリトル・レッドの記憶
1. 再会
2. 記憶、ああ記憶
3. ああ学校、ああ美しい学校
4. 摩天楼とインディアン
5. 征服王ウィリアムと印刷機
6. 副詞、三角貿易、そして権利章典
7. 床、ドア、窓、天井
第二章 子どもに優しい学校
1. 私たちは何故そこにいたのか?
2. 学校を子どもに合わせる
3. 退屈せずに学ぶこと
4. 子どもをだめにすることなく鞭を惜しむ
5. 私たちの準備はできていたのか?
6. カルチャーショックと同化
第三章 「その場にいて、自分たちが進歩主義教育を実行した」という幻想
1. もしデューイが幽霊として甦ったら
2. 社会通念なのか、それとも普及した実践なのか
3. 言語上の変化
4. 「進歩主義教育は大失敗だった」というシナリオ
5. 過去を書き直す
6. 事実かフィクションか
第四章 新しい教育との密接な出会い
1. 体験知(Knowledge by Acquaintance)
2. グループ・プロジェクト
3. 全人的な出会い
4. 部族主義との出会い
5. 失われた機会
第五章 埋もれていた宝物
1. 再度の既視感
2. 投影についての事例研究
3. 民主主義の学び
4. 時をむだにすることで時をかせぐ
5. 学校と家庭
6. 既成概念にとらわれずに物事を考えること
終 章
原註・訳者註
参考文献
人名註・固有名詞註
解説ーー進歩主義教育の〈分有〉(田中智志)
監訳者のことばーー「生活(ライフ)」から「知」を問うことの意義(生田久美子)
著者・訳者・解説者紹介
索 引