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タイトル |
戻れないけど、生きるのだ(モドレナイケドイキルノダ) |
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フェミニズムから受け取った重たい宿題。これからの〈俺たち〉へ。
男らしさや男性性にまつわる当事者研究として各メディアで話題となった『さよなら、俺たち』に続く最新ジェンダー・エッセイ集。ジェンダーの先にある人間の生き方、幸福を探求する。
セルフケア、中年の板ばさみ、新自由主義、家父長制、男同士の連帯etc.
俺たちはお茶ができない。
人生の価値は、人生の豊かさは、どれだけ何かに心を揺さぶられたかでおそらく決まる。ジェンダーとは生き方や在り方に直結する問題で、私たちの言動や感受性のオペレーションシステムとして機能しているものだ。そこに変化を加えようとすれば、当然ながらいろんなところがギリギリ軋む。そのストレスや不快感はバカにならず、反動的なエネルギーが生じたって不思議ではない。だからこそ思う。俺たちは頭で考えてるだけでは変われない。そのためには何かに圧倒され、言葉を失い、放心状態になるような体験を重ねることが重要で、内省も責任も、ケアも覚悟、抵抗も希望も、きっとそういう時間から生まれるはずだ。もちろん本やドラマだけじゃない。恋愛にも、子育てにも、仕事にも、旅にも、生活にも、友達とのお茶にも、そんな感動は宿っている。「昔のほうがよかった」「ずいぶん息苦しい時代になった」「あの頃に帰りたい」って気持ちは誰の中にもあると思うけど、さよならした時間には戻れることはできない。それでも毎日は続くし、何かに心を震わせ変化しながら生きていくことは全然できる。もう戻ることはできれないけれど、俺たちはこれからも生きるのだ。(「戻れないけど、生きるのだ」より)
1 〈男〉とフェミニズム──シスターフッドの外側で
2 我は、おじさん──男性優位社会と中年世代の責任
3 被害と加害と恥と傷──泣いてる〈俺〉を抱きしめて
4 平成から遠く離れて──生産性の呪いと自己責任社会
5 家父長制への抵抗──結婚と家族、ジェンダーの呪縛
6 これからの〈俺たち〉へ──beingの肯定