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タイトル |
文庫 文化大革命とモンゴル人ジェノサイド 上(ブンコ ブンカダイカクメイトモンゴルジンジェノサイド ジョウ) |
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「1966年に中国文化大革命が始まったとき、
内モンゴル自治区には150万人近くのモンゴル人が暮らしていた。
だが少数民族のモンゴル人は全員が粛清の対象とされ、少なくとも
34万6000人が逮捕され、2万7900人が殺害され、12万人に身体障害が残った。
これは中国政府が大幅に被害者数を縮小して発表した公式見解である」(序章より)
本書は約6000頁にのぼる中国政府の公文書と被害者報告書、
加害者側と被害者側の記録など、ほとんどが中国では未公開で
研究者も閲覧できない資料をもとに、封印された殺戮の全貌を検証した決定版である。
『ジェノサイドと文化大革命ーー内モンゴルの民族問題』改題。
はじめに
序章 隠されたジェノサイド
隠されつづけているモンゴル人ジェノサイド
モンゴル人ジェノサイドの原因
共産党中央委員会と同時進行した前門飯店会議
ジェノサイドの確証
第1章 ジェノサイドを煽動する共産党のヘイト・スピーチ
流氓政治
優秀な流氓の発言
北京からのジェノサイドの号砲
大量虐殺の目的を説く
中国人対モンゴル人の戦争
虐殺の急先鋒
情勢の変化と虐殺者の政治的嗅覚
「民族の消滅」を実現させたヘイト・スピーチ
第2章 受難のモンゴル人指導者ウラーンフー
ウラーンフーというモンゴル人政治家を研究する意義
中国共産党が描く「ウラーンフー同志」
中国周縁部に住むウラーンフー
中国共産党華北局前門飯店会議
「反大漢族主義運動」 に対する清算
第3章 粛清される民族自決の内モンゴル人民革命党員たち
内モンゴル人民革命党粛清事件とその性質
仕掛けられた「モンゴル人同士の内紛」
造反派領袖の経験
欧米が認識する内モンゴルの中国文化大革命
第一次資料が語る内モンゴル人民革命党粛清運動
大量虐殺に利用された民族自決の歴史
虐殺をはたらいた側からの報告
大量虐殺後の政府政策と矛先の転換
虐殺後の戦争動員
陰謀のための「名誉回復」と未解決の民族問題
モンゴル人ジェノサイドの性質