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人生の後半戦を、静かに落ち着いて暮らしたい。
死や孤独と向き合う「揺らぐことのない精神」を
『菜根譚』から学ぶ。
『菜根譚』は「人がいかに生きていくべきか」を記した指南書。人生の本質を短い文言でとらえた、人生訓集です。「菜根」という言葉がタイトルに入っていますが、野菜とは関係ありません。『論語』ほど認知度が高くないために、知らない人が多いかもしれません。読書好きの人がそれとなく出合う、隠れた名著と言えます。
著者である洪自誠(こうじせい)の人生の詳細は明らかではありません。ただ、何らかの理由で社会の隅に置かれ、隠遁して暮らしたと言われます。
洪自誠が生きた明の時代の中国では、役人となるためには「儒教」が必須でした。しかしその道からはずれたとき、自誠は老荘思想や仏教へと近づいていったのです。老荘思想は「道教」と呼ばれ、自然と一体化して無理をせず、自分の気と宇宙の気をめぐらせながら生きていく教え。人生全体を大きな観点でとらえます。また、「仏教」の中にも物事への執着を捨て、欲を捨て、静かな心持ちで生きる、禅という悟りがあります。
『菜根譚』は、これら「儒教」「道教」「仏教」の3つの教えが、自誠の中を通って咀嚼され、格言的な言葉となって表されたものです。おそらく自誠は先人たちの思想を読み、その言葉に支えられて自分の精神を培っていったのでしょう。
『菜根譚』の内容は、社会で成功したりうまくいったりしたときではなく、うまくいかなかったとき心に沁みるものかもしれません。自分が周囲に評価されていないと感じるとき。自身の力がうまく発揮できないと感じるとき。人生の意味を振り返り考え込んでしまうとき……。ふとした瞬間に立ち止まることは、誰にでもあるもの。そういうときこそ、『菜根譚』を読むチャンスです。
『菜根譚』は、全編通して本質的な問題を見つめているので、ふとした不安についても深いところで気づきがあります。何度か読んでなじんできたら、気に入ったフレーズを座右の銘として手帳に書き写しましょう。
いまは、心が重視される時代です。心というのは非常に不安定で、日々揺らぎながら移り変わります。しかし『菜根譚』にはひとりの心の中だけでない、誰にでも通用する「人として生きる基本」が書かれています。これらを自分の中に取り入れ、受け継ぐことができたなら、揺らぐことのない精神を言葉で支えていくことができるのです。
昔もいまも、人が生きていく根本はそれほど変わりません。『菜根譚』の目指すところは、ひとりでも鬱にならず静かに落ち着いて暮らすこと。特に人生の後半戦を生きていくためには、「死の問題」や「孤独に向き合う」ことがとても重要です。その準備段階として、「ひとりでも満ち足りる」というメンタリティを学んでほしいと思います。
(本書の「はじめに」「おわりに」から再構成しています)